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今夜の番組チェック

第4期 2002年 9月02日〜(全10回)



「写真は動機から解放されなければならない。私達は、偶発性に対して如何にも意味ありげに振舞う姿は写真を意志と理由の中に閉じ込めてしまうだろう。心はフィクションでしかなく動機もまたフィクションでしかない。写真は偶発性に対して具体的に答えるしかないものだ。“その写真は何故その写真でしかないのか?”「でしかない」という事を可能性をもって超越的に捉えるのではなく、「でしかない」という事を具体的に、絶対的不可能ではなく相対的不可能として捉えること。
 あらゆる可能性の充満したこの世界で写真は「でしかない」という、可能性を徹底的に拒否して「でしかない」事を甘受する。可能性は常に奇跡を呼び起こそうとするが、写真は奇跡など要求しない。写真の中で奇跡は多量のフィルムの消費の中で単なる偶発性へと相対化される。奇跡は目に見えない可能性から印画紙に定着された「でしかない」ものへと即物的に可能も不可能もなく提出される。具体的な事に常に偶発的であり、何一つ必然性を持たずに表われてくる。」金村 修

第1回 2002年09月02日(月)19:00〜

 

九月だというのに、この暑さはなんでしょう?
地球はいったいどうなるのでしょう?
どうなっても、人はただ、それを受け入れるしかないみたいです。

写真もそうみたいです。

初回は自己紹介にはじまり、金村さんのお話があり、参加者の作品講評へ。。。

今回は、金村さんのお話をお届けします。

 


 今の写真界ってのは10年前と違って、ワリと写真が表現の手段みたいに捉えられてるけどね。まあ、それで、いろいろと若い人もやるんでしょうけど、基本的に写真ってのは表現っていう概念とは対立するから。なんでかっていうと、写真ってのは簡単に言うと、ひとつ物質的な側面があって、たとえば「表現」ってなってくと、写真っていうのは自分の手足みたいな感じで捉えられるわけですよね。たとえば自分の観念なり思想なりを、ある種カメラを手段として撮ってくみたいな考え方になってくる。だけど、写真っていうのは撮ってる作者の意識を裏切ってくような要素って強いわけですよ。たとえば、この写真でもそうだけど、細かいディテールってものが肉眼とは違うわけだし、うん。どうしても、カメラっていうと肉眼の延長というふうに捉えられやすいし、現にそういうような感じで、たとえば蜷川実花の写真とかヒロミクスの写真とか、ああいう写真ってのは肉体の延長みたいな感じで捉えられてるけど、基本的に写真ってのは、そういう肉体の延長であるってことを拒否してますからね。ある種の自分の文学的な観念とかね、たとえば「孤独」とか「寂しい」とか「楽しい」とか、まああんまり「楽しい」って表現する人はいないんだけど、そういうような心情的なものとか考えとかを何か出そうと思うような感じでやるかもしんないけど、それは基本的に違うことだと思うんだよね。たとえば言葉にしてもそうだけど、詩とか小説とかあるわけじゃないですか。あれは別にインスピレーションとか自分の考えてるようなことを手段として言語化していくんじゃなくて、言語そのものをどのように捉えるかってことでみんな考えてるわけだから。写真もやっぱり、70年代くらいまではある種の手段として捉えるようなところがあったけど、それ以後コンセプチャルフォトとかそういう写真が出てきてるわけだから、写真は写真そのものとして考えていくみたいな。特に今の時代は、写真に可能性がないわけじゃないですか、モノクロ写真でもカラー写真でもそうだけど、写真の終わりみたいなのがいわれてる時代だから。そういう時に何を考えるかっていうと、自分の考えとか思想とか感情とかをストレートに表現できる、そういうような幻想はもう終わってるわけだから。写真は写真について考えてくみたいな、特に写真について考えていかないと、写真ってのは撮れないわけですしね。

 一応、写真って160〜170年の歴史があって、その歴史の中で展開されてくわけだから、その歴史から出てくることはできないしね。その中でチャチなことやったって、ああ、それはかつてあったっていう話になるし。だから、そういう意味では、これを機会にね、写真を「撮る」ってことは非常に重要だけど、写真集を「みる」とか写真を「みる」ってことは結構重要なことで、だいたい「撮る」ってことと「みる」ってことはほぼ同じだと思った方がいいよ。みなきゃ撮れないしね。特に最初の頃ってのは。ある程度テクニックがあがって、まあ、やりたいことが分かってくればそんなにみなくてもいいんだけど、最初の頃はすごいみた方がいいし、それに、みなければ分かんないわけじゃないですか、自分のやりたいことが。まして、写真ってのは誰でもできるしね。そういう意味じゃ、あんまりすすめられる展覧会ってのはほとんどないんですけどね、まあ、つまんないのみるのも勉強だから。うん。とりあえず、「撮る」ってことと「みる」ってことを並行してやった方がいいですよね。次の機会から写真集を持ってくるから、それを観たりとかしてね、やっていきましょう。

 だいたいねえ、写真家になりたいと思ったら年間200以上ですね、本数として。たまに天才ってのがいるんですけど、90年代以降の写真家ってのは、基本的に写真っていうメディア自体が天才を否定してるとこがあるから、それはもう努力でやってくしかないわけだし、まあ100〜200ぐらいを目処にしてやってくと、それを10年やれば写真家になれるから。写真家になるのは簡単ですから。なんでかっていうと絶対数足りないから。名前を出すなり、有名になるというのは意外に楽な分野ではありますわね、音楽とか映画に比べれば。ただ、写真で有名になったところで、そうそう金持ちにはなれないってはのはありますけど。

 まあ、とにかく、写真って表現じゃないみたいな、表現っていう意識をどっかで疑ってるっていうかね、表現意識を批評するみたいなメディアだと、それはやっぱり写真の、写真っていうね、撮るっていう基本的な枠組み自体がね、人間の思考そのもの、最初の形態みたいなところがありましてね、要するに人間が認識する時ってのは、モノをみるわけなんだ、視覚体験っていうか。で、常に正面からしか見れないし、写真も常に正面からしか見れないし。なぜならレンズってのは裏側にもっていけないからね。そういう意味じゃあ、視覚の原始的な体験をそのまま再現してるわけだから、ものすごくアナーキーなメディアなんですよ。まあ、そうやってやってけば分かりますよ。。。


金村さん、フィンランドにて個展のため、次週はお休み。。。 第2回は連休明けの9月17日(火)。

(レポート:小寺)

第3回 2002年09月24日(月)19:00〜

今回は、第4期より初の実況中継。

 逸見幸生さんの作品をご紹介いたします。

金村:

「あまり文字が入った看板を入れない方がいい。ポツンポツンと文字が入ってると、そこに目がいってしまって、光のおもしろさが見えてこないんですよ。人も写ってない方がいい。その方が、光のディティールがもっとよく見えてくる。まあ、この(写真1)程度ならいいけどね。」

「このへん(写真1・2)だと、全体的に前ピンになってるよね。そうすると、この光の感じとか壁のディテールとかのおもしろさに目がいくでしょ。この写真群のおもしろさは、ピンがあった辺りの「光」だからね。必要ないものはフレームから外してった方が写真のコンセプトが明確になるはず。この写真(写真3)だと、ビルの地下街の生活を見せたいのかっていう風にもとらえられる。看板(文字)や人が画面に入ってくるかどうかで、違ってくるんだよね。「生活」というものが出てきてしまうし、遠近があまりにもはっきり分かってしまう。人がこんなに小さく写っているから、これだけ距離があるんだな、とか…。その辺りに気をつけながら、コンセプトをはっきり打ち出していけば、この写真は成立していくと思うよ。フォルムとか、遠近、モノの配置のおもしろさを見せていった方が、あなたの場合はいいと思う。」



写 真 1


写 真 2


写 真 3


写 真 4

また、この日はベタに関するこんな話もありました。

金村:

「当たり前のことだけど、ベタ(コンタクトプリント)は、とった方がいい。なぜかというと、ベタは自己批判の材料になるから。撮って、直で焼いてしまうと、写真について考える時間がない。ベタを入れると、それを見て、考える癖がつくんだよね。写真って撮るだけじゃない。撮る時間って意外に少ない。選んだり、プリントする時間の方がよっぽど長かったりする。写真をやることは肉体労働だ、なんてよく言われるけれど、実はそうでもない。自分のベタを見ると失望するでしょ?それがいいんですよ。自分の写真をこんな風に思っていたけれど、何か違う。そういうところから、始まるんです。それに、作家になったら、いつ、どの作品を持って来てほしいと言われるか分からないでしょ?そういった時にパニックにならないよう、日頃からきちんとベタをとっておく必要があるんですよ。」

(レポート:船渡川)

第6回 2002年10月15日(火)19:00〜

写真の彼岸ってどこにあるのか? 受講者からそんな話がありました。
分からない「けど」か「だから」か、もうちょっと続けてみよう…と歴史に残るこの日の夜のワークショップ。

今期前半、金村さんの歴史に残る言葉たち。

「場所みつけるのも才能いるから」

「カメラが大きくなると扱いにくいっていうノイズが入るんだよ。ある程度、手足みたいに撮れるってのは必要なんだけど、手足みたいに撮れないってことが大事」

「写ってるものをどう立ち上げるかっていう話になんないとね」

「こういうゴチャゴチャは画面の隠し味みたいなもんだから、あんまり露骨に出さない方がいい」

「作品をつくるっていうよりも、撮るってことを先行させる!」

「意外と写真って、おもしろいモノを撮ってもおもしろくなかったりするんですよ。撮り方が問題なんですよ。どう撮るか」

「ちょっと努力してるのがみえると写真ってよくないんですよ」

「中心があって次のモノがあってっていうヒエラルキーが画面にでちゃうと、ブツ撮りになっちゃう。。。」

「入れてみて、自分の基本的なラインがくずれるなってのは落とせばいいんだよ」

「集中と選択っていうのが一番うまくなる方法。力って分散しても強くならないですからね」

「ベタで選んでるときも、撮ってるときの感覚みたいなので選んだ方がいい」

「通俗的な言葉にもっていけそうなことをやらない方がいいですよ」

「カメラって大きくなると、ちゃんとかまえてちゃんと撮らなきゃってなるんだよ。それは重要なことなんだけど、その上でそれをぶち壊すっていうのも必要なんだ」

「光と影で原始的な方にもっていかないとおもしろくない」

「ちょこっと余計なものが入ってくるよね。あなた、まだ説明したがってる」

(レポート:小寺)

 

 

第8回 2002年10月29日(火)19:00〜

今期実況中継第二弾!
河原真佐子さんの作品をご紹介します。

金村:「すんげえ、風情がある。」

河原:「風情?いいことなんですか?」

金村:「いいことですよ。人間って心を失うと終わりですよ。」
   「これいいねえ。これ特にいいねえ。君の写真さあ、ぐにゃーとしてるんだよ、みんな。だから、キリっとしてるのって意外に弱くなるんだよ。」


今週の新作をみながらのこんなやりとりの後、これまでに選んでおいた作品の中に、今日新たに選んだ作品を入れ、通してみていく。。。

金村:「これ、すんげえ撮り方だなあ。落としたいのある?」

河原:「これ(写真1)はちょっと。。。」

金村:「強すぎるか。これ(写真1)落とすか? そうだな、一見こういうのってよく見えるんだけど、君が撮ると違うんだろうな。これはどう?」

河原:「うーん、これはまあ入ってもいいかなー。」

金村:「これ(写真4)はいいな。じゃあ、これ(写真2)は?」

河原:「これ(写真2)はちょっと。。。」

金村:「じゃあ、落とすか。」

参加者A:「すごいなあ。いいと思うの全部落としちゃうんだな。」

金村:「うん、すごい。選んでるの、やっぱ本人ぽいね。落としたいのは他人でも撮れそうな写真だよな。いいんだけどっていう。。。」

金村:「じゃ、もう一回やるね。これ(写真5)は?」

河原:「入れます。」

金村:「これ(写真3)はやだろ。これ落とすか。こっち(写真6)は入れるだろ。。。だんだんなんか、本人のやりたいことが分かるな。この人、自分のこと分かってるよね。」

河原:「うーん?」

金村:「いや、普通選べないんだよ、こんな風に。最初の頃って。例えばオレだったら、やっぱこういうの(写真1、2、3)入れるけどね。入れたくなるんだよ、こういうの。写真自体はおもしろいし。それを得てして落としてるっていうのは、自分の作家性に気がついてるからですよ。君のまとめ方うまいですよ。これでいいと思う。これを落とせるってえらいよ。ほら、ストリートスナップってどうしても画面を強くみせたくなるから。それを落とせるんだから、すごいよ!」


写 真 1


写 真 4


写 真 2


写 真 5


写 真 3


写 真 6

(レポート:小寺)

第9回 2002年11月05日(火)19:00〜

今回は、緒方範人さんの作品をご紹介します。
連続の実況中継!
 

写 真 1

 

写 真 3

 

写 真 5

緒方:「やっぱり空を否定する方向で。。。」

金村:「空を否定する?」

緒方:「空があいた感じだと、どうしてもやっぱり(他の写真のなかに)入らなくなってくるんで。」

金村:「でも、これ(写真1)ぐらいになると、ちょっと安易なとこあるけどね。安易っていうか、ビル撮るってのは“こんなふうになります”ってのがあるからさあ。これ(写真2)ぐらいの入り方だと、まあ自然なんだけど。。。案外と“つくり”がみえるとつらいところがあるよね。ここらへん(写真2)なら、別にそんなに極端に作為だってみないんだけど、やっぱこういうの(写真3・5)とかになってくると、つくってんなあって感じなんだなあ。
 この手の写真(写真1・3・5)と、この手の写真(写真2・4・6)の選び方がまだ分からないでしょ?」

緒方:「あんまりこれ(写真4)はいいとは思わなかったですけど。」

金村:「すばらしいですよ。」

緒方:「ただ毎回、こういうの(写真6)が撮りたいとは思うんですけど。」

金村:「こう(写真1)なっちゃうと、なんかもう、つまってりゃいいやみたいなさあ、なんかこう、まる投げみたいな感じがするじゃない。でも、ここらへん(写真4)は違うよね。なるたけ自然に覗いて撮ってても向こうがいい!、でもつまってるっていう。
 これ(写真3)は、パッとみた瞬間、ああ努力してるなってのがみえちゃうからさ、こういうの(写真5)とかさ。意外に、手前にこういうの(電線、道路のラインなど)出しちゃうと飽きるんですよね。手前にちょっとなんか入れると、とにかくそれで遠近分かるんだけどさ、説明的になっちゃうからさ。
 ここらへん(写真4・6)が一番いいよ。これ(写真4)すごいよなあ。
 あんまり電柱をみせるような劇的な感じとかはちょっと強いから、こういうの(写真5)だと、もうちょっと下にふってもいいんだよ。」

緒方:「ちょっと人があまりにもいたんで、そういう意味で無理矢理って感じなんですけど。」

金村:「あんまり手前とか意識しない方がいいよ。」

緒方:「そういうの(手前)を消す方向を考えてたんですよ。だから(あおりつつ、上に)余計なものをいれて空をちょっと否定していこうかなみたいな感じで。。。」

金村:「あんまり上に上げてくと曲がるじゃない、建物って。ストレートに撮った方がいいですよ。」

 

写 真 2

 

写 真 4

 

写 真 6

(レポート:小寺)