[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

第6期 2003年5月19日〜(全10回)



「写真は表現の敵対者としてあらわれる。個人の意識・無意識の発露としての作品など認められない。ブルジョワ民主主義を無批判に前提にする個人の表現行為などは、写真によって一撃にされるだろう。写真は、過去の記憶からも解放されなければならない。私達は記憶や過去などという言葉にうんざりしているし、写真を撮ることは過ぎ去ることではなく、常に現在風景であるはずだ。遅滞としての写真などではなく、現在であることの写真が求められているのではないか。現在とは何の裏付けも持たないことであり、過去という超越的実在があって、それに対応する写真などというものはいい加減飽き飽きするだろう。写真は再現を軽蔑する。再現できる裏付けなど持たないことが写真行為であり、私達は何も分からないし何も表現できないことから始めなければならないだろう。」金村 修

 

第2回 2003年05月26日(月)19:00〜

実況中継。

講評中のお話と 山方さんの作品について。

 

金村:

「面白い場所を見つけてるね。せっかく面白い場所を見つけてるんだから、何もそこで、あせって撮る必要はないよ。そんな努力はしなくてもいいんだ。立ち位置から地面を入れてまっすぐに撮る。被写体の存在自体が面白いんだから、余計なことはしなくてもいい。普通に撮るんだよ。写真は、“写した”ということより“写ってしまった”ってことが面白いんだから。」

「この写真の場合、光の入り方、遠近感が分からないところがいいね。ゴルフ場の背景にビルがあるってことが面白いわけじゃないよ。場所を説明する写真を撮っているわけではないでしょう? わざわざ遠いところまで出かける必要はない。あなたの家から一歩出れば、面白い世界は広がってるんだから。」

「この被写体が重くみえようがみえまいが、それは写真を撮るうえであまり問題ではない。重量感っていうものを写真でみせるのは難しいんだ。個人の見方によって違ってくるものだから。例えば、相撲取からみたら軽くみえるものも、普通の人からみたら重くみえたりする。普遍性がない。写真はあくまでも一枚の印画紙なんだ。だから総重量は一緒でしょ。みせ方によって形がどう違って見えるのかであって、重さは基本的にはみせられないと思った方がいいと思う。」

「“ 複雑”っていうのはどういうことかというと、画面の中のすべてものが同質にみえること。“この写真のここをみろ!”っていう撮る側の意識があったり、ヒエラルキーが決まっているような写真は、複雑とはいわない。写るものすべてが等価であることが重要なんだ。引いた位置からピントを全部に合わせて撮ることによって、それが可能になる場合がある、“複雑”にみえる場合があるんだ。」

「どの写真がよくてどの写真が悪いかなんて、君が決めることじゃない、写真が決めることなんだ。いい写真ができたらそれを基準に考えていけばいい。」

 

 

写 真 1


写 真 3

 

写 真 5

 

 続いて、山方 伸さんの作品です。

 

 

 

 

金村:

「この写真(写真2)、すごくいいね。
 石黒健治さんの写真を思わせるよね。」

 レンズは、35ミリと28ミリを使用。

「レンズについていえば、狭いところで28ミリを使うのは当たり前。35ミリをもっと使ってみてもいいかもしれない。フレームの中に入らないものが出てくるから。
 最初に撮る時には、少し不自由さを味わった方がいいんだ。」

「ノーファインダーとファインダーを見ている時と差があるね。
 ファインダーからのぞいて撮りなさい。のぞけないような状況下だったらそれは写さなくていい。写せないということも重要だから。」

 

 

 

 

 

 

第3回へ続く。。。

 

写 真 2


写 真 4


写 真 6

(レポート:船渡川)

第3回 2003年06月02日(月)19:00〜

 

 。。。第2回に続きまして山方さんの作品です。

 

 

金村:

これ(写真7)だと、電車に入っていくっていうような説明になってくるよね。でも、問題は電車じゃないでしょ。駅っていう場における人間が問題なんでしょ?
 こういうのって、最初にパッとみたときに、電車ってのがみえちゃうんだよね。そっちの方に意識がとられちゃうから、電車っていうか、そのイメージでもってかれちゃうわけだよね。」

 

山方

電車っていうイメージがどういう風に思われてるかよく分からないんですけど。。。」

 

金村:

まず電車っていうことで、人ってイメージしちゃうでしょ。電車っていうことからイメージすることって単純なものしかないからさあ。
 “ああ、電車込んでるよねえ”とか、“いろんな人がいるよねえ”とかさあ。
 そうすると分かっちゃうでしょ、簡単に、言葉で。。。で、話ができるじゃない、イメージがわくわけじゃない。
 でも、そのイメージってのはさあ、今の資本主義社会の日本がもってる共通したイメージにすぎないんだよ。“電車は孤独ですよねー”みたいな“都会の孤独”とかさ。だけど、そんなものってウソでしょ。っていうか、あるかもしれないけど、こんなもの(写真)に代行されるようなもんじゃないんだよね、孤独なんてさ。
 “ハト”みて孤独とかさあ、ハトに迷惑でしょ。ハト、孤独じゃないんだし。ハトはえさがあるからそこにいるんだからさあ。
だから、そうじゃないんだよ。
 写真ってのは、言葉で分かんないものなわけだからさあ。
こういうものにうずみ込んでる光とかさあ、こういうふうに立ってる位置とかさあ、こんなもの、言葉で説明しようとしてるわけじゃないでしょ。そこをみせるわけだからさあ。
 単純にさあ、電車というのは社会的に表現できる言葉ってのがあるわけよ。“奴隷のような日本人たち”みたいな感じでさあ。
 言葉で説明するのはすごい楽でいいんだけど、言葉と写真が全部一致しちゃうと簡単すぎるんだよね。
それこそ、写真撮るよりも言葉考えた方がいいって話になるからさあ。それを狙うんだったら言葉を考えた方がいいと思う。
 言葉を拒否するんですよ! 写真なんて言葉で説明できないんだから。
 “写真とは何であるか”っていうこと、誰も言ってないでしょ。言えないんだよ。基本的に“写真とは写真である”としか言えないわけだから。物語なんか作ったってしょうがないわけだから。」

ちょっとこういう寄ってる写真(写真8)って、関係性が曖昧なんだよね。厳しくもないし、やさしくもないし。
君がもってるのと、この人がもってる距離ってのが、すごく曖昧なんだよ。
 こういうの(写真9)って突き放してるわけじゃない。
 これ(写真8)って、“仲良くなりたいのかな?”みたいな雰囲気じゃない。“ポートレートにいくのかな?”みたいなさ。
でも、あなたの写真ってのはポートレートじゃないんだよね。この写真(写真9)なんて、もう配置の問題でやってるわけだからさ、完全に。」

 

 

写 真 7


写 真 8


写 真 9

(レポート:小寺)

第4回 2003年06月10日(月)19:00〜

 

 今回は、佐々木陵史郎さんの作品を御紹介いたします。

 
 

 

 

 

金村:
「君、いいよ!」

佐々木:
前、遠慮してるっていわれたんで、今回は遠慮しないように意識して。。。」

金村:
「その調子で撮ってるのは大いに結構なことだよ。ただ、ストリートスナップって今の時代、うけないけどね。なんか、みんなねえ、嫌うんだよ。たぶん、もう人が見たくないような時代になったからじゃないかなあ。ストリートスナップってきついっちゃ、きついからね。
 いつでもカメラ持ってるんだな。」

佐々木:
「はい!」

金村:
「そりゃあ、いいことだ。これ、すっごいいいよ。何やってるかわかんないとこがいいよ。君、すごいいいなあ。」

佐々木:
でも、選び方がよくわからないんですよ。」

金村:
「そのうち分かるようになるよ。だいたいの自分の軸っていうかね。。。
 例えばさ、自分の写真で、これとこれはいいなあっていうのがあるわけじゃない。そういう写真の間に“どうかな?”って思う写真を入れてみれば分かるんだよ。そうすると、これは強すぎるだろ。これだとぶれてるうえにここが強すぎる、とかさあ、そういうふうにみえてくるから。
 これ、いいよ! ごちゃごちゃしてると下手だなあ。君のストリートスナップはすき間がいいんだな。」

 

 

 

 

(レポート:小寺)

第5回 2003年06月16日(月)19:00〜

 

 迎田徳子さんの作品を御紹介します。 

 

金村:

君の写真って、組み合わせによっては、ノスタルジックに見えてしまう可能性があるね。でも、あなた自身はこの被写体に決してノスタルジーを感じているわけじゃないでしょ? むしろめずらしいと思って撮っているんじゃない?
 例えば、この写真(写真1)なんか店の正面から撮ってるでしょ。これだと見る人は何となくノスタルジーを感じてしまうんだよね。洋服店のはり紙が見えたり、働いているおじさんが見えたりね。こういうアイロンとか、いろんな道具が見えちゃうの(写真2)もちょっと違うような気がするんだよ。内部の写真だと撮る場所が限られてくるとだろうし、毎週毎週撮れないんじゃない。場所を探すことに精一杯になっちゃってさ。
 街の写真でいいんじゃないかな? この距離感がいいんだよね。これらの写真(写真3 4 5)だと、マンションとか、車とか、いろんなものが入ってくるでしょ。要するに“今”の写真になるんだよ。
 寄った写真を見るとなんか昭和の世界だよね。レトロなものをわざわざ選んで撮ってます、みたいに見える。ノスタルジックっていうのは、昔はよかったねえとか、こういうアイロンは最高だよ、とかそういう感じなんだよね。君はそんなことは思ってないでしょ。」

迎田:

「そうですね。そういうことは考えていないですね。あんまりいろいろ考えずに…。でも、外の写真はあんまり特徴がない気がするんですけど。誰が撮ったか分からないような写真じゃないですか?」

金村:

「 それでいいんじゃないの。桑原甲子雄さんの写真だって誰が撮ったか分からないような写真だよ。だからこそすごくいいんだと思う。誰が撮ったか分かる写真、つまりその人の個性でしか撮っていない写真なんてつまらないでしょ。千年たっても“○○先生の写真でございますね”だけじゃ、なんか狭いよね。人格とか個性とか見えない方が写真に広がりが出るんだよ。そういうものは写真にベールを被せてしまって、かえって写真を見えにくくしてしまうから。桑原さんの写真が面白いのは、桑原さんの人格なんて見えないからだと思うしね。
 街の写真は、はじめのうちは撮っててやりがいはないと思う。撮れちゃった写真だからね。でも最終的に面白いのは撮れちゃった写真だと思うよ。それを反復することで、自らにフィードバックして、意識化していけばいいんだから…。」

 

 

写 真 3

 

写 真 4

 

写 真 1

 

写 真 2

 

写 真 5

(レポート:船渡川)

第8回 2003年07月07日(月)19:00〜

 七夕は、藤 啓介さんの作品です。

金村:
「この写真(写真1・3)とこの写真(写真8・9)の違いって自分でわかるか? これ(写真1・3)は作られてる道なわけじゃない。人工物が入ってて。でも、こっち(写真8・9)は道と一体化してる。人工性がないみたいな。だからといって、自然の道でもない。割と中途半端な道なんだよ。
 これ(写真5)みると、まあ分かるわけじゃない。こういうような場所かっていうのがさ。でも、この4枚(写真1・3・9・10)って場所が見えないんだよね。ただ、このなかですごい違いあるんだけどさ。これ(写真1・3)は対比になってくるんだね。植物と道っていう。こっち(写真8・9)は対比になってこない。道と植物が一体化してみえるから。
 それを自分で意識してるかはわかんないけど。。。
 たぶん、建物も入れてくると思うから、そうなると、こっち(写真1・3)のほうが合うと思うけどね。これ(写真8・9)は、どちらかというと自然の方にふっちゃってるからさあ。だから、あなたの持ってる今までの流れのなかでは、たぶんこっち(写真1・3)のほうが正しいと思う。正しいというか、つながってくだろうね。
 この写真(写真1・3)でいくんなら、意外にここらへん(写真2・4)も使えるんじゃないか。どうだ? そんなにおかしくないだろう。
 これ(写真5)はちょっといやらしくなるよね。そういういやらしさがないから他のはいいんじゃないかな。
 これ(写真6・7)は完全に植物なんだけどさ、こういうふうに撮れるんなら植物撮ってもいいんじゃないか。この写真(写真6・7)を入れることによって、この二枚(写真8・9)の写真にさあ、なんか切り口のおもしろさがあるんだなあっていうのがみえてくるんだよね。」

 

写 真 1

 

写 真 2

 

写 真 3

 

写 真 4

 

 

藤:
「切り口?」

金村:
「うん。場所を説明するんじゃなくてさあ。作者の意図っていうのがフレーミングに感じられるっていうのかな。これなら十分にやりたいこともわかる。」 

藤:
「こういうのとかって、正直言って気になってなかったんですけど。。。」

金村: 
「ああ、そうだろうね。俺もこれ(写真8・9)みてから、なんかこれ(写真6・7)がおもしろいんじゃないかなーって。
 写真ってのは、わりと組み合わせってのがあるからさあ。だって展覧会場で一枚かけるってことないじゃない。写真ってのは、一枚で完結するものじゃないからさあ、連続性でみるからさ。だからって、その一枚が軽いかっていうとそういうわけではないんだけど。ただ、この写真とこの写真の関係性っていうのが重要になってくるんだよね。
 フレームの中で完結してないから、こういう風に並べるってことの可能性のおもしろさが出てくる。でも、これ(写真5)だと、並べるっていうよりも一枚一枚展示するっていう感じだろ。この中で完結してるから。だから、これでやってけば、まとまりはいいんだけ、おもしろさっていうのはこっちだね。なにか想像させるから。

 この中途半端なフレームのきり方っていうのは、まあ今初めて体験したから、わかんないんだろうけど、撮れたっていうことは自分にその可能性があるわけじゃない。それは次々撮ることによって体験化されて自分の形になってくると思うよ。最初は写真ってさあ、自分の思ったとおり撮れなくてさあ、自分の思ってもないものがおもしろいって言われるもんなんだよね。でもそれは2〜3か月もすれば分かるようになるから。
 被写体がどうのこうのっていうよりも、切り口がいいよね。ぶっきらぼうだし、愛想ないしさ。なんか無造作にモノが入ってさあ。写真的なサービスがないんだよ、ここには。
 写真的なサービスなんておもしろくないじゃない。最初からニコニコ作り笑いしてるのが嫌なのと同じでさあ。」

藤: 
「そういうのって意図してないっていうか、あんまり考えてやってるわけじゃないんですけど。」

金村: 
「考えたらつまんないじゃん!君の不安なところは、要するに意図してないと、次、撮れないんじゃないかっていうことだろ。でも意図してりゃあいいのかっていうとそういうもんじゃなくてさあ、完全に自分で意図して、意識してさあ、計算して撮れるものなんて別におもしろくないんだよ。そんな奴いっぱいいるしさあ。
 自分の意図を超えて撮れるのかってことだろ。撮れたんだから、撮れるよ。大丈夫、そういう偶然が重なって必然になるから。」

 

 
 

写 真 5

 

 

写 真 6

 

写 真 7

 

写 真 8

 

写 真 9

 

(レポート:小寺)