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金村:
「写真をわざわざ撮りに行くってことも重要なんですけど、日常的に撮るっていう方法もあるんですよ。
自分は日常的に写真を撮ってるんだっていうのが、観る人に伝われば、いろんな種類の撮り方の写真があってもかまわないんですよ。
そこらへんが伝わらないで、いろんな撮り方の写真があれこれあっても成立しないけどね。写真の規則性やルールってものは必要だから。
ちょっと大げさな話だけど、ある種、自分の人生っていうか、生き方っていうか、朝起きて夜寝るまで、みてるモノを写すっていう、それがコンセプトなんだっていうね。
朝起きて、すぐ自分の部屋撮って、暇があったらパチパチ撮るっていうやり方ってすぐ飽きちゃうものなんですけど、そこを飽きるか飽きないかが、やっぱり、たぶん分かれ目だと思う。
ロバート・フランクとか荒木さんは、飽きないんですよ。まあ、本当は飽きてるかもしれないけど、もう芸みたいなもんだから。
それでもやっぱり、食事中必ず写真撮るとかってすごいことだよね。三脚立ててね、飲んでる時でも撮るとかね。
一日中、生きてる間の、自分の生きてる時間帯のなかで、気がついたものをどんどん撮っていくのかっていうことね。
ロバート・フランクなんかが、写真を撮るのが生き方だっていうのは、そういうことなんですよ。
カメラマンって呼ばれる人は、撮影が終わったら、もう関係なし。一切自分のプライベートなこととか、考えとか観念とか、そういったものをみせない。
こういうテーマがあったら、こういうテーマでやって、こういう規則でみせて、どうですか?みたいなね。
あと、コンセプチャルフォトっていう写真も、自分をみせないし、ある程度のルールをみせるんですけど、またちょっと違う話でね。それは、写真についての写真だからね。
日常的に写真を撮るってことで、一つにいえることは、量なんですよね。たくさん撮っていって、その中で厳選していくっていうね。
いい写真を撮るとか、悪い写真を撮るとか、どうでもよくなってくるんです。今日はいい日だろうし、明日は悪い日だろうしっていうのと同じようなものでね、そんなことは。
たとえば、写っているモノも撮り方もつまらない写真でも、自分のなかで、そういう決意のなかで写真をやっていくのであれば、別に、そのつまらない写真が入ったっておかしくないんですよ。それでも全体の中で、おもしろくみえてくるかっていうことなんですよね。
日常的に撮るっていうのは、そういうことなんです。
わざわざ撮りに行くっていうのは重要なことですよ。写真家ですからね。でも、わざわざ撮りに行ってるなあっていうのが観る人にみえなくなってきたときが一番おもしろいと思うんですよ。わざわざ撮りにいくとか、行ってないとかっていう問題じゃなくみえるわけだから。
気負いがみえたりとか、意気込みがみえたりとかすると、まだつまらないんです。サラリーマンじゃないんだからね。」
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